人間が働くのは暇を潰すためである。 - 働かない生活を満喫する人の家計簿

人間が働くのは暇を潰すためである。

自分は働いていないので一般的な大人と比べれば自由になる時間が多い。

多い、というよりも1日24時間が自由時間である。

何にも束縛されず、自分のしたいように生きる自由な暮らし。

言い方を変えれば誰からも何からも必要とされていない無為な人生とも言える。

そんな生き方虚しいじゃないか、と思われるであろうか。
自分は全然虚しくはない。

働かなくても時は過ぎる



ヒトという同じ種類の生き物であっても感じ方や捉え方というのは個体差が大きく
自分のように何事にも束縛されない自由を愛する個体もいれば
何者かに頼られ、また何者かを頼って暮らすことで初めて自分の存在意義を感じる個もいる。

面白いものである。

そういえばpha氏もそのようなことを言われていたと記憶する。



自分は持たないことこそが幸福であるといった考え方はよくわからぬが、
忙しさや暮らしにおける充実度といったものはすべきことや予定の大小で決まるのではなく
あくまでも当人がどのように感じるかによって変動するもののようだという感覚は理解出来る。

自分はこんな生活でも全く退屈しないし、ああ何も目的のない日々はなぜにこんなに長いのだ、
とも思わぬ。
無職は無職なりにやることや考えることがあり、やはり24時間はあっという間に過ぎるのだ。
24時間どころか無職生活3年間など瞬く間であった。

労働は大人のための合理的な暇つぶし



しかしやる気に満ち溢れた生命力漲る御仁であれば自分のような生産性に乏しい人生は
それこそ気が狂うほど退屈なものなのだろうと思う。

起きて、食べて、寝るだけ。
何も生み出さず、社会に何の影響も及ぼさない。
ただ、生きるだけ。

そんな何もしない人生は退屈すぎる、勿体ない、生命の無駄遣いだ。

そう考えるからこそみな働くのであろう。
何もしないよりは暇を潰せる何かをして幾ばくかの金銭を得るのは酷く合理的だからだ。

子供は遊ぶことに忙しいが、真っ当な大人は遊び方を忘れてゆき、結果暇になるのだ。
暇だから暇つぶしに働いてみたりするのだ。

などと考えるのに忙しくなかなか働きに出られないからこその無職である。

さて、2017/2/2の出費は食費として1033円。
季節の果物を購入するなどの贅沢をして2月の2日目を楽しんだ。

雇われない生き方、働かない選択