ハイパー無職という最高に心安らぐ生き方。 - 働かない生活を満喫する人の家計簿

ハイパー無職という最高に心安らぐ生き方。

突然だがハイパー無職最強説をここに唱えたい。

ハイパー無職。

読んで字のごとく、無職を超越した無職、無職の向こう側である。

などとさも新しい概念を開拓したかのような物言いをしてはみたがその実、
自分は長きに渡る無職生活の中、ここで似たようなことをずっと書き続けている。

ぼんやりとしていたその生き方に、今改めて名を冠したという訳である。

ハイパー無職とは


さて、ハイパー無職とは何か。敢えて定義するのならば

  1. 時間的自由を有している
  2. 経済的自由を有している
  3. 少なからずの社会的義務を果たしている
  4. 将来に対する不安などは人並み程度である
  5. やりたいことをやっている
  6. 毎日が楽しく、時には充実すらしている

などであろうか。

無職とは働いていない人間のことを指すので、一般的な社会人よりも
時間的自由があるのは当然のことであり、1.を満たすのはそう難しいことではない。
会社さえ辞めれば、時間は今すぐ誰でもが手に入れられるのだ。

働かないで生きる人の1日のスケジュール

1.と両立するのが難しいと思われがちなのが2.の経済的自由であろう。
金はなくとも時間があればそれで余は満足じゃ、という仙人タイプの御仁であれば
山奥の僻地ならば100万円かそこらで手に入る土地付き一戸建てでも買って
コツコツと自分好みのシェルターを作り上げ、田畑を耕し自給自足に勤しむのがよい。
それもひとつの幸せの形ではある。
が、多くの人間は時間も金も両方欲しいという欲張り極まりない俗人であるので
やはりハイパーと名乗るからには何不自由ない金も手にしておきたいところである。

遊んで暮らす毎日を始める具体的な5つの方法

3.の社会的義務とは、便宜上そう記したが国家や世間に対しての責任義務云々といったものではなく
最低限の自己肯定感を保つための装置のようなものだとお考えいただきたい。
ただでさえ社会から取り残されがちな無職生活である。
一般会社員諸氏のような目覚ましい活躍はできずとも、多少の税金を納められる程度、
最低限の収入があれば、根は勤勉で真面目な無職者も心病まずに過ごせると推測する。

人生をリセットする方法 社会的な死を選ぶ。

4.で「将来の不安が全くない」と言い切ってしまわないところが我ながら素晴らしいと感じる。
働いていようがなかろうが、独身だろうが家族持ちだろうが、男であろうが女であろうが
生きていれば何らかの不安に襲われる瞬間があるのが人間という生き物である。
よって、強迫観念を伴うような異様なまでの不安でなければ、よしとしたい。

死ぬ前にみんなが後悔すること、などに騙されている場合ではない

長く続く無職生活の一助となるのが実は5.のやりたいことである。
一生寝て暮らしたい、は、寒い冬の朝寝床から脱する瞬間誰もが一度は考える夢であるが
実際やってみるとそう面白みがないことに気付く。
これで一生飽きないのはそれこそ、寝るのが何よりも好きなタイプの人間だけであり、
そういう御仁はダラダラ寝て過ごすことが「やりたいこと」なので、
自動的に5.の要素を満たしていると言える。
しかし、凡人はただただ寝て暮らすだけではその域に達することは叶わない。

起きて寝て食べて出すだけの人生

せっかく幸か不幸か無職という選択をしたのだ。
どうせならば、毎日楽しく、時には充実した時間を過ごしたいとは思わないだろうか。
結局、無論、働いていてもいないくても、6.を実現したものが人生の勝利者であることは言うまでもない。

ハイパー無職という最高に心安らぐ生き方


手前味噌にもほどがあるのは承知の上で申し上げるが、自分はかなりハイパーな無職である。
清らかな体のまま成人ししばらく過ごした男性は魔法使いになるという都市伝説を耳にしたことがあるが
地道にコツコツ試行錯誤しながら無職生活を続けていれば無職の向こう側、即ちハイパー無職に到達するのかもしれぬ。

時には、心にさざ波も立つ。
しかしながら、今の自分は心安らぐ生き方をしていると自負している。

空前のハイパー無職ブームが訪れた今、恥を忍んで今後もこの生き方について書き記していきたい。
需要がそこそこあると思われるゆえ、注力すべきはやはり定義2.にまつわる内容ではないかと推測する。