仕事ができない人間が生きていくには。 - 働かない生活を満喫する人の家計簿

仕事ができない人間が生きていくには。

仕事ができないバカが多くて困る。
近頃そんな愚痴をよく聞く。

はて、これはなぜなのか。
などということを少し前に書いたわけであるが。

仕事ができないバカが多い件

仕事ができないバカと日々仕事をしなければいけない優秀な人々の心労たるやいかばかりか、
と気の毒にはなるものの、自分は残念ながらバカ側の人間である。

どちらかといえば、バカと罵られる御仁に対して共感してしまうのは致し方ない。

上がバカかばり、下がバカばかり



「うちは上がバカばっかりで」
「上司がバカでやってられない」

そんな不平不満も世の中には溢れているが、このパターンはそれなりにお気楽というか
実際にその「バカ」と同じポストに自分がいざ座ってみなければ見えてこないことも多い。

これは例えて言うなれば高校生が教師をバカにするようなもので、
なんとなく可愛げのある微笑ましい不満のようにも見える。

しかし、逆は少々厄介だ。
つまり部下、後輩、新入社員など、自分より下の立場の人間がバカで使えない、というパターン。

そもそも新入りや経験の浅い人間は「使えない」のが本来の姿ではあるのだが
使えないにも程があるとか根本的に話が通じないとか常識がなっていないとか

「俺の若い時はもっとマシだった」

という感覚があるからこそあまりのできなさに苛立つのであろう。

前述の例になぞらえれば教師が生徒に対してあまりのバカさ加減に苛立ちを覚えるとか
なんでこんなこともわからない、できないのだと呆気にとられるようなもので
さほど微笑ましくはないどころかかなり厄介な問題に思える。

指導する側の人間がこういう感情を持ってしまうと、進むものも進まないのだ。

仕事ができる人の苦労、できない人の苦労



もちろん、大変なご苦労だとは思う。

できる方々にとってはできないバカにいちいち合わせたり説明したりする時間がもどかしく
ならばもう一人で全てをやってしまった方が早い、とばかりに作業を抱え込み
残業時間は増すばかり、などというパターンも少なくはないだろう。

こんな状況では仕事のできないバカを責めたくなるのも当然といえよう。

しかし、努力が足りない、または能力を出し惜しみしているがゆえにバカに見られてしまう
というようなもったいぶり型バカとは異なり、
真性のバカは何がどうしてどうだから自分はできないのか、すらわからない。

いや、わかったとしても、それをどうやって改善すればいいのか皆目見当もつかないのだ。
だからこそ、バカなのだ。

ただ、バカとハサミは使いようという言葉もあるように、バカの中にも
指示方法によってはそれなりに使える人間もいるのでそれこそ使いよう、ではある。

このあたりを上手くコントロールできてこそのリーダーシップではあるのかもしれぬ。

仕事ができない人間が生きていくには



無職がリーダーシップ論などこれ以上掘り下げようがないので話を戻す。

とにかく仕事ができないバカ、そして、仕事ができないが故に今の職場に居場所がなく
居心地が悪く辛く、悩んでいる御仁はどうすればいいのか。

人間追い込まれている時は視野が狭くなりロクな考えが浮かばないものだが、
仕事ができないバカでも生きていく道はいくらでもある。例えば


  • できる方法を探す

  • 職場を変える

  • 職種を変える

  • 働き方を変える

  • 働かないで生きる



などである。

よくあいつは言われたことしかできない云々という不満を口にする御仁もおられるが、
言われた事を完璧にこなし余計な提案など一切しないというのもまた一つの個性である。

よって、淡々と作業をこなせる方が自分は誰もができる当たり前のことしかできない、
などと自分を卑下する必要もない。

働くのが怖い、普通のことができない

今回は仕事ができないバカが生きていく方法について考察するつもりであったのだが
またしても無駄話が多く長くなったので続きは次回。

バカは仕事ができない上に話も長くて困る。

好きなことには集中できるのに、仕事になると集中できない人へ